THE ROAD in Pompei

写真家・笠原秀信がイタリア周遊旅行の途中で切り取ったランドスケープ
「THE ROAD」の第4弾・ポンペイ編をオンラインにて開催する。

第4弾の舞台はイタリア・ポンペイ
イタリア ナポリ近郊 ヴィスヴィオ山のふもとにあった古代都市。西暦79年、ヴィスヴィオ山の大噴火で発生した火砕流によって地中に埋もれた。その遺跡は「ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域」としてユネスコの世界遺産に登録されている。

ネロ帝凱旋門とフォロ
ジュピター神殿

市民生活の中心となっていたフォロは公共広場。中心の広場を囲うように裁判所や集会所、神殿が並び、織物の陳列所、
ベーカリーの窯や石鍋など、残っておりました。

街の目抜き通りは「アッポンダンツァ通り」 と呼ばれ、車道、歩道に分かれ、真ん中の車道にはかつて馬車が走っていたそうです。雨の日に歩行者が横断する際足を濡らさぬよう、飛び石まで設けられていたのです。

生活用の泉もここにありました。富裕層は自宅に水道を引いていましたが、一般市民は各所配置された泉に水を汲みにきたのです。また、広場からこの通りまでの間には馬止めの石が置かれていることから、歩行者天国だったことが分かっています。

ポンペイの公衆浴場(スタビアーネ浴場)
古代ローマ人にとって入浴は非常に重要だった。彼らは1日のうち数時間をそこで過ごしたそうです。
室内は芸術的な彫刻が施されています。

ポンペイの売春宿(Lupanare)
ポンペイにはいくつも売春宿があったそうですが、この建物だけはそういった行為を行うための専門の場所としてデザインされたため、ポンペイで最も優れた体制の売春宿とされています。

この売春宿で働いていた女性たちは主に、ギリシャなどにルーツを持つ奴隷でした。

ポンペイ遺跡の遺体
ヴィスヴィオ山の噴火で逃げる人々は、火砕流に飲み込まれてしまいます。寄り添う親子や、もがき苦しむもの、手をつなぐ男女など、すべてが火砕流に飲み込まれてしまったのです。

コロナ流行りで世の中のリモート化が急速に進んだ一方、誰かとの他愛もない会話だったり、道端の花を愛でる時間だったり、アナログとして大事にしなければならないものが確かにある。そんな思いが交錯するかのような道と人々と街が織りなすストーリー「THE ROAD」。

静かで温かな空気感をとらえる笠原秀信のアートのようなフォトグラフィーに、とくと注目したい。過去と現在、そして未来を見つめながら、私たちの道はまだまだ続いていく。

「THE ROAD – in Pompeii
https://hidenobu.com/the_road/

photo : Hidenobu Kasahara